北極圏まで165kmと言う白海に浮かぶ島にマリナさんのホテル「ソロフキーホテル」はある。
彼女のホテルは島では特別格の高級ホテル。ロビーやレストラン、バー等の設備のある主棟を囲むように、庭を挟んで5つ宿泊棟が建っている。全ての建物がログハウス造りで、内装はシンプルだがロシアの田舎の家の暖かさを感じさせる。
部屋はスイート2室、ジュニアスイート10室を含めて合計46室あり、この島最大の部屋数、設備を備えたホテルだ。
大小6つの島からなるソロベツキー諸島には15世紀初めにロシア正教の僧侶二人がやって来て建設し始めたという大修道院がある。ソビエト時代は収容所として使用され、その過酷な環境での収容が有名になったところだ。
モスクワの事務所に彼女を訪ねると、9歳になる娘のアナスタシアちゃんが遊びに来ていた。マリナさんは「私は北の出身で、今も両親や家族が住んでいてあの辺り一帯が私の故郷」と話し始めてくれた。「先週はナスチャ(アナスタシア)のクラスメート達と島へ行っていたの。既に黄葉(島ではほとんどの樹木が白樺、カラ松等で黄色に変わる)真っ盛りでとてもきれいだった。森を散歩したり、キノコを取ったり、湖でボート遊びをしたりして、皆とても喜んでくれた。私が島で一番好きな季節。 空から島を見ると黄色と常緑樹の緑と空の青さだけ。覚えている?去年のちょうど今頃・・・」と言いながら、机に置かれた卓上カレンダーの島の写真を見せてくれた。(去年の9月、私は友人とこの島へ旅行する時、ちょうど、自分の友人を案内して島に行くところだったマリナさんと御一緒し、以来、モスクワで時々お会いしている)
1990年、マリナさんはモスクワの大学で石油・ガス専門のエンジニアリングを学ぶ大学院生だった。ゴルバチョフ時代のペレストロイカが世界中に知れ渡り、ソビエト時代が終焉を迎えるのを肌で感じていた。ある日友人から「そんな勉強をしている時代はもう終った。新しい事業を一緒にやりましょう」と誘われ、当時急激に増えていた、外国企業の視察旅行者を一手に扱っていた国営インツーリスト旅行社の下請けのような、受け入れ専門のツーリスト会社を起こした。「大学、大学院と、長年専門的に勉強して来た事をあっという間に捨てて、全く違う仕事を始めたの」と言い、「今の時代だったらきちんと卒業して億万長者になっていたかもしれないわね」と彼女は笑った。
会社設立の出資金等を聞くと、また笑いながら「当時は何も必要なかった。ホテルと話し合って小さな部屋を確保し、事務所を開設。仕事は知り合いのいたインツーリストから回してもらった。当時は本当に何もない時代だったから、何も必要なかった。必要なのはちょっとしたアイデアだけ。外国から来る観光客、ビジネス客のホテル、交通手段を手配し、工場や会社へ案内し、観光などはスケジュールを組んでそれぞれ運転手やガイドを手配すればよかった」