当時モスクワにはこうした会社は10社ほどしかなく、皆知り合いで、ツーリズム会社のオーナークラブのようなものを創った事もあったそうだ。その中に今のご主人がいて、仕事を一緒にするようになり、結婚したそうだ。ペテルブルグ出身のご主人は、既にペテルブルグとモスクワで旅行社を経営していて、彼女はそのモスクワ支社を担当する形で加わった。会社の名前は「Incentive Services Business Agency」で、頭文字をとると「ISBA(イズバ)」。イズバはロシア語でログハウスの意味があり、ホテルをログハウス建築にする由来にもなった。
娘のアナスタシアちゃんが生まれた1998年頃のロシアは金融危機状態が続いており、外国からの経済視察や観光客が激減していたが、出産で仕事から離れていたので、あまり影響は覚えていないそうだ。
2001年になってロシアで大企業が続々と誕生する頃、外国企業の出張、視察、団体観光旅行が再び増加し、御主人と共同経営する「ISBA」の経営も軌道に乗るようになった。ロシアの大企業経営者のセミナーや会議をまかされるようになり、取引先も、今や世界中に知れ渡る大企業の名前が次々と上がった。
ある日、両親と親しい地元出身の国会議員と話をしている時、議員は、同島にはソビエト時代仕様のホテルしかなく、きちんと設備の整ったホテルが必要だと述べた。夫婦はこれに賛同し、ホテルの建設計画を進めることになった。
「私達夫婦はサービス業専門で、ホテルを建てるのは初めてで不安でした。私が最初に島へ行ったのは建築が始まって間もない頃で、3月で寒く、お天気も悪く、飛行機が飛ばずに3日間足止めされた」「島には何もなく、アルハンゲルスク市からすべて運びました。海も凍結してしまうため、船で建築材料を運べるのも1年のうちの5ヶ月だけ。何も知らなかったので大変でした」と当時を振り返る。「ロシア北方にはお城のようなホテルはふさわしくない。天然木を活かした、昔からのイズバ建築に、近代設備を備えたホテルにしたかった」「カーテンとベッドカバーも私が気に入っていた麻の生地を選んで島へ運んだ」と部屋の写真を見せながら話してくれた。
「ソロフキーホテル」は2003年にオープンした。
当初、お客のほとんどはモスクワ、ペテルブルグに来る外国人旅行客だった。ところが、最近はほとんどの滞在客がロシア人となっている。企業経営者など、最近の裕福なロシア人はその多くがヨーロッパなどの外国旅行をしつくし、ロシアを再発見しつつあるのだという。「この島に来て、自分たちもキリスト教者としてロシアの教会の美しさを再発見し、自然の美しさを再発見し、そしてロシア料理のおいしさを再発見する。皆この島でロシア人としての自分を再発見して帰ります」「外国ばかりに目を向けていた時代から、国内の旅行も楽しく過ごせると言う事を再確認し始めている」と言う。
経営者として見ると決して収益率の良いホテルではないかもしれないが、開業期間間の稼働率は80%以上で、ホテル業界では悪い方ではないそうだ。
「1年のうち営業出来るのは4〜5ヶ月間だけ。でもこのホテルは私の全て、私の人生です」と熱っぽく語ってくれた。
マリナさんはホテル経営者、ビジネス旅行代理店経営者と言う堅苦しい肩書きにこだわらず名刺にも肩書きはない。御主人と二人三脚で、ごく自然に経営者としての仕事をこなし、子供を育てているように感じる。ホテル開業中のシーズンには何度もモスクワと島を行き来しているが、それも苦にはならず、楽しいようだ。 (2007年10月)