今年最後の短信をウラジオの事務所で書いている。こちらも暖冬で、今日24日の日中の気温は氷点下5、6度と平年よりは暖かく、25日はセ氏2度の予報である。今冬の降雪は24日現在3回しかなく、降った雪もすべて消えてしまっている。
中央広場には例年通り、新年とロシア正教のクリスマス(1月7日)を祝う巨大なもみの木(ツリー)と氷の彫像が準備されているが、すでに融け始めている。当然、海はまだ凍っていない。例年には考えられないような、温かい年末である。
毎年、私はこの時期に1年の挨拶をするためにこちらに出張している。その際、必ずロシア人から「15年もウラジオで活動している日本企業は少ない」と、尊敬?の言葉をいただくが、私がウラジオで活動を続けられたのは、昔も今もウラジオで出会った人々からの温かい励ましがあるからだ。
1992年のこと、私は観光ビザで開放したばかりのウラジオに入った。短期滞在しかできない。そこで、当時、新潟から日本語教師に派遣されていたO先生の紹介で大学の日本語教師の職を得た。しかし、モスクワ当局は一度日本へ帰国して就労ビザをとって来るように学校側に伝えた。
しかし、大学の先生たちが自分のことのようにモスクワと掛け合ってくれて、帰国せずに就労ビザに変更が可能となった。この先生たちの好意に恥じないように、という思いで今日までやってこれたように思う。
考えてみたら、その先生たちとも長い間会っていない。来年は、お世話になった多くの友人や知人、一人でも多くの人に会って感謝を伝える年にしていきたい。
2006/12/22 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2006年12月26日の記事を転載したものです。