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ウラジオ短信

自治体外交を実践した市岡氏逝く

14年前の1992年、故市岡政夫氏が、新潟市国際課からウラジオストクの極東大学に日本語教師として派遣され、奥様の和子さんと一緒に大学の寮で長期滞在をされていた。

その頃、同じく日本語教師として新潟県からは小野島恵次氏、新潟市は高橋建造氏が派遣されていた。私も仕事の準備のためウラジオに滞在をしていた。

ある日、学期末の授業が終わり新潟出身者らが市岡さんの寮に集まった。奥様の手料理で酒を飲み、3日間に渡って市岡さんの部屋に泊り込み飲み明かした。

このとき、市岡さんは和子さんとの結婚式をあげていないという話題になった。そこで新潟の有志が集まり、ウラジオの小さなレストランで市岡ご夫妻がロシア民族衣装を着て結婚披露宴をやらせていただいた。その後、新潟で市岡さんにお会いした際、その時のロシア式披露宴のことが話題になり、喜んでいいただいたことが懐かしく思い出される。

また、市岡さんはウラジオ日本人会を創設し、初代の会長として活動を始めた。まだ日本領事館がナホトカの頃、邦人の名簿を作成して何かあったら連絡を取り合うようにしたように思う。その後、領事館がウラジオに移り日本人会はウラジオ領事館に受け継がれている。

市岡さんの功績は述べるまでもないが、ロシアを本当に愛され新潟とハバ・ウラジオとの交流のために貢献をされた。また酒豪であり、その飲みっぷりも豪快であった。市岡さんの豪快さはロシア人をも魅了した。

市岡さん、これからは大好きなロシアの犬と天国で遊んでください。合掌。

2006/03/30 JSN 田代雅章

※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2006年4月03日の記事を転載したものです。

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