新年をウラジオで迎えた。12月31日、富山からウラジオへ向かったが、小型ジェット機ヤーク40(定員22名)がほぼ満席で驚いた。乗客の会話を聞いていると観光目的である。日本も寒いがもっと寒いところへ行くなんて物好きな人達だと、自分のことは置いて思った。
飛行機の中から、ロシアの新年とクリスマス(1月7日)は始まっていた。機内がクリスマスモード一色となっており、きらびやかな飾りつけと新年を祝うシャンパンのサービスが航空会社からあり、拍手が湧き起こった。
ウラジオと仕事をして15年になるが、新年をロシアで迎えるのは3回目。今回のように普通の家庭で新年を迎えるのは初めてである。
お世話になった家の家族構成は、両親と大学を卒業したばかりのお嬢さん、それにお婆さんの4人家族。客室には大きなもみの木の飾りが置いてあり、その木の下には、お嬢さんが家族のために買ったプレゼントが人数分置いてある。
夜の8時頃、それまで普段着だった家族が正装をしてテーブルに着く。食べきれないほどのご馳走が並び夕食が始まった。テレビでは、日本の紅白歌合戦のような歌番組を延々と放送している。若い人たちは、この番組を朝方まで見て新年を迎える。
お母さんが「今年のわが家の嬉しいニュースは、娘が無事に大学を卒業したことね」と話すと、その隣でお父さんがその言葉に頷いた。子供を無事に育て終えた両親の気持ちが、私にも伝わってくる。
ウラジオ時間の23時55分から、テレビでは沿海地方のダリキン知事が美しい奥さんと一緒に新年の挨拶をしている、この挨拶が終わると零時を知らせ新年となる。何とも心憎い演出である。そこで、お父さんがシャンパンを開け、「新年おめでとう」とみんなで乾杯をする。お嬢さんが渡すプレゼントを嬉しそうに家族が受取った。
最近は、ウラジオでもホテルや高級レストランで、派手に新年を迎えるのが金持ちの流行になりつつある。
2004/01/23 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2004年01月掲載の記事を転載したものです。