ロシア極東地域の発展には日本の支援が必要であることは、以前から言われてきた。今年に入り、ようやく日本政府のロシア極東への本格的な支援の気配が感じられる。
この6月には川口外務大臣のウラジオ訪問があり、何らかの調印もありそうである。また、その後、今井経団連会長や高澤ロシア東欧貿易会会長らもぞくぞく訪問する。また、今夏には昨年に続きプーチン大統領がウラジオを訪れる。
ウラジオはロシア極東の玄関口であり海、空、陸の交通の要で物流の拠点ともなる。港町としての情緒は観光地としての可能性を秘め、また戦前の日本との関係などを含め、解放直後から注目はされていたが、それが現実となりそうである。
話は変わるが、先日ウラジオに着任したばかりの丸尾総領事とウラジオの総領事館でお会いする機会を得た。総領事は着任する直前に新潟県知事とも電話で話しており、新潟とロシア極東の交流に注目をしていると話されていた。
そこで私は、篠田新潟市長は前新潟日報の記者であり、対岸との交流を促進する立場から取材をしていたことを説明させていただいた。「それなら、年内にぜひともウラジオに来て頂きたい」と、総領事が言われていた。
ロシア極東との交流では、新潟の名前が必ず出てくる。モスクワや中国などは各自治体や大手企業などがあらゆる情報を持っているが、ロシア極東となると特段に新潟の知名度が高い。大変なことだと受け止めている。また、昨年、新潟市の行なったロシア企業とのマッチングが経済交流の参考事例として各方面から注目をされている。
私のほうといえば、8年間通いなれたウラジオ事務所を4月末に移転し、街の中心部のサッカースタジアム「ジナモ」の敷地内に新事務所を開いた。また、それに伴いロシア国内でビジネスが出来るように法人としての手続きも行っている。
今まで以上に新潟とウラジオ及びロシア極東地域との交流に積極的に参加をしていく覚悟を決めている。
2003/05/23 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2003年05月掲載の記事を転載したものです。