ワールドカップ(W杯)の日本対ロシア戦が行われた九日、偶然にも新潟からウラジオストクに向かった。試合は日本の歴史的勝利という結果に終わったが、その後一週間ロシアで仕事をする私にとって、手放しで喜べる結果ではなかった。
翌日の地元有力日刊紙は一面で、サッカーでの敗戦を日露戦争の対馬沖海戦での敗北になぞらえ、いかにそのショックが大きかったかを伝えた。また、別の記事は、都知事の北方領土に関する不用意な発言を槍玉に挙げ、政治とスポーツを混同する愚かな発言として痛烈に批判していた。試合前に発せられたこの発言は(おそらくは発言者の意に反して)、中央紙やテレビが大きく取り上げ、多くのロシア人が知るところとなっていた。
そんななか、サッカーでの敗戦よりも、ロシア社会にもっとも衝撃を与えたのは、モスクワで起きた暴動であったことは言うまでもない。この暴動は、外国人排斥などを唱える極右集団、通称「スキンヘッド」が扇動したとされるが、現代ロシアが抱える社会病理を、はからずも全世界に知らしめる結果を招いた。冷戦後の不安定な世界情勢が如実に物語るように、このような屈折した「ナショナリズム」が、社会不安や紛争の要因となることは少なくない。
もっとも、市民の多くは、これらの出来事を冷静に受け止め、自己批判し、徒に反日感情を抱くようなことはなかったように感じた。むしろ、六月九日は、私の知る限り、ロシアがもっとも日本という国に注目した一日であった。テレビや新聞は日本戦を前後し、サッカーのみならず、キャンプ地でのホスピタリティ(歓待)、日本人のマナーのよさ、街の清潔さ、ロシア人には理解しがたい「ベッカム・フィーバー」まで、日本に関するあらゆる情報を伝えた。日本と接する機会が比較的多い極東でも、ゴミを自分で持ち帰る日本人サポーターの姿には素直に驚いていた。種々の問題に水をさされた形となったが、W杯が、多くのロシア人の日本に対する見方を変える契機となったように思う。
2002/06/21 JSN 浜野 剛
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」2002年06月掲載の記事を転載したものです。