私は1994〜98年の4年間、サンクトペテルブルグにあるロシア国立教育大学でロシア語を学び、昨年の夏留学を終え新潟に戻ってきた。
このロシア留学時代、私はオートバイでユーラシア大陸を横断するという機会に恵まれた。これは公式のデータや資料から得られない生のロシアを見る事ができた貴重な体験であった。タイガ、ステップ、シベリアを抜け、大陸の風を切る毎日は驚きと発見の連続。
しかしこの大陸横断は決して順調に進んだわけではない。特に我々を悩ませたのが道路の舗装の悪さだった。
1万1000キロにわたり「舗装のうねり」と突如現れる「道路の穴」に常に注意を払う必要があった。完走後、同行した友人はこの道路の穴を「単調な道路に退屈させないためのスパイス」と表現しスリリングな走行を楽しんでいたようだ。
今も当時使った地図が手元にある。そこにマークされたウラジオストク(最終目的地)まで伸びる一本の線は私にとって一番の宝物である。
先日久しぶりにそのウラジオを仕事のため訪れ、歓喜のあまり涙したユーラシア完走の日のことを思い出した。あれから数年、道路はかなり改善され、特にウラジオは日に日に走りやすくなっている。しかし、道路のスパイス(穴)が消えてゆくのは思い入れが深いだけに少し淋しい気がする。
1999/05/17 JSN 菅原 専
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1999年05月掲載の記事を転載したものです。