先日、ウラジオストク新聞社のバクシン社長と話した。彼がいうには、ウラジオの人々は新潟には興味が無くなってきている、というのである。
実は5月13日に、「大阪府議会日露友好親善議員連盟」が府議会議員ら85人で発足した。7月にはウラジオを訪れ沿海地方の議員と交流をする予定がある。また、議員交流の先には、大阪の財界の動きも当然予想される。
バクシン社長が言いたかったのは、沿海地方行政府やウラジオ市は、この大阪府の議員の動きに期待しているというものだ。「新潟に比べ、大阪の企業は大きい」と、バクシン社長も期待している。
確かに法整備の不備を理由に 新潟の企業もロシアビジネスに悲観的である。
しかし、最近ウラジオでは大阪の人がラーメン屋を開いたり、米国人(日系2世)が、寿司屋を開店したりとそれなりに賑やかである。
ウラジオの人々にすれば、一番近い新潟は何をしているのか、となるのだろう。ここは私も黙ってはいられないと思い、何かやりましょうと頼みこんだ。
ウラジオを舞台にした新潟とウラジオの共同映画の制作はどうか。ウラジオの女性と新潟の男性の恋愛物語り。これは後にしようということになり、私がウラジオストク新聞に毎月1回、記事を書くことになった。
日本人がこのウラジオをどのようにみてきたか、また、新潟からはどのように見えるのか今月から書く予定である。
1998/05/17 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1998年05月掲載の記事を転載したものです。