ウラジオストクの旅行会社のツアーで6日間、中国へ行ってきた。グロデコボから列車で中国国境の町、綏芬河(スイフンガ)とハルビンを回ってウラジオへ戻るというコース。
1989年に同じルートで綏芬河を訪れていたので、どのような町になっているのかたいへん興味があった。
当時の綏芬河は、国境の田舎町でしかなかった。朝、なべをもって豆腐屋へ行く光景や、夕焼けの中で町中に響きわたる蒸気機関車の汽笛を聞き、昭和30年代の日本のような懐かしさを覚えた。それが、この8年間で大変貌(へんぼう)をとげていた。高層のオフィスビルが立ち並び、至る所で建設ラッシュに沸いていた。
今、綏芬河はロシア人の「担ぎ屋」で潤っている。街にはロシア語の看板が氾濫(はんらん)しており、どの店の売り子もロシア語を流暢に話す。
中国側の旅行社の話では、1日400人のロシア人が綏芬河にやって来るという。ロシア人がこの街に落とすお金は、年間5億ドルといわれている。「ロシアマネー」がこの町を発展させていると言っても過言ではない。
中国とロシアは同じころ、経済開放政策を進めた。中国ではこの10年間で経済が急激に発展した。一方ロシアといえば、個人の購買力は年々大きくなっているが、なぜか経済の成長は停滞している。今回、中国とロシアを比較して改めて実感したのは、中国では経済発展が進み、ロシアでは購買力が上がっていたことである。
1997/09/21 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1997年09月掲載の記事を転載したものです。