個人的な話で恐縮だが、42回目の誕生日をウラジオで迎えた。夕方4時頃、わが社で以前アルバイトをしていたキーラ(22)が手作りのケーキを持ってお祝いに駆けつけてくれた。 ロシアの習慣に倣って私もシャンパンを買い、みんなに振る舞わなければと思っていたので、仕事をやめて誕生パーティとなった。
キーラはこの6月、極東国立大学の中にある東洋大学の日本語学科を卒業した。その報告も兼ねて来てくれたのだ。彼女はディプロム(卒業証書)を私に差し出して「田代さん見て」と、胸を張った。わが社で働くアンドレイが「表紙の赤いのは優秀者にだけ贈られるもの」と、キーラに代わって説明した。
しかし、キーラはこれだけ勉強したのに、日本語を活かせる職業がウラジオにはないと愚痴を言い始めた。自分たちのクラスは10人だが、就職できたのは3人。彼らは日本語とは関係ない仕事に就いているという。それで「キーラはどうするのか」と私は尋ねた。日本語を忘れないためにも、日本関係の仕事がしたい。何か良い仕事があれば紹介して欲しいとキーラは答えた。
極東大学によれば、就職が決まっているのは卒業生の1%ほどだという。現在、就職に有利な学部は経済と法学部。卒業すると銀行などに仕事が見つかるようだ。
ウラジオでは、個人事業主が年々増えている。企業組織は税金が高く成長していない。そこで、外国語を話せる男子学生の中には、卒業後、自分で企業を興す者も多い。
1997/08/03 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1997年08月掲載の記事を転載したものです。