最近、当社のウラジオ事務所に2台目のコンピュータを導入した。当然、電子メールのやり取りも可能となった。最初の電子メールが届いたときには、新潟とウラジオのスタッフで感激して電話で喜び合った。こんなことは当たり前なのだが、互いのコンピュータの環境が違う中で「ロシア語」が文字化けもせず読めたことを喜んだ。
4年前、私はロシアの情報誌の発行を決断した。当時は、ファクスで情報を送るしかなかったが、ウラジオではファクス機さえ売っていなかった。また当時の電話回線は雑音がひどくファクス送信さえエラーを出していた。そんな通信環境の中で、ウラジオ事務所と新潟本社をパソコン通信で結ぶトライを無謀にもやった。
4年前は日本からウラジオへはダイレクトで電話が出来るのだが、ウラジオからは交換を通さなければならない。日本の通信ソフトはダイレクトしか出来ない。日本からウラジオへ電話をかけて、ウラジオのコンピュータに接続して内容を取り出す作業をした。これも一番回線の安定している真夜中にやるしかない。それでも回線の雑音がひどく何度もトライする。通信がようやくできたのは朝方ということが幾度となくあった。その後、国際専用回線の開通で夜中の交信から開放された。
この4年間の通信の発達は、ウラジオ側でも目を見張るものがある。電話が通じないということも遠い昔のように感じられる。
1997/03/20 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1997年03月掲載の記事を転載したものです。