3月上旬、ウラジオストクへ行くときのことである。ウラジオストク新聞のバクシン社長から1通のファクスが入ってきた。日本から「キムチの素」を買ってきて欲しいという依頼である。ウラジオに着くと早速商品を届けに行った。丁重にお礼を言われ「ぜひレストランで食事をごちそうしたい」ということになった。
レストランに招待され、私はウラジオ新聞の社長としてのバクシンさんしか見てこなかったことを知った。バクシンさんはサハリン出身で、韓国系の人たちが作ったキムチが大好きで自分でも作っている。そして、バクシンさんもダーチャ(菜園)を持っており、休日は野菜作りに精を出していることを初めて知った。
極東で一番大きな新聞社の社長が、日ごろはペンを握る手で休日はダーチャでくわを持って汗を流している。当社のウラジオ事務所スタッフのアンドレイもこれには驚いていた。考えてみればバクシンさんもロシア人なんだから当たり前なのだろうが、私には何かミスマッチに思えてしまった。
それを私が言うと、バクシンさんは何かあると新聞社のスタッフをダーチャに呼んでウォッカを飲むのだという。「郊外の空気のきれいなところで生活するのは実に楽しい」と、週末のダーチャでの生活をうれしそうに語った。
ロシア人にとってダーチャは野菜を作ることも目的であるが、混乱している今の生活の中で休息を与えてくれる憩いの場所だということがようやく分かった。
1997/03/16 JSN 田代雅章
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1997年03月掲載の記事を転載したものです。