ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」が沈没、流出した重油が日本に漂着し始めてから10日以上が経つ。
私は新潟空港で帰国する「ナホトカ」の乗組員にインタビューする機会があったのだが、事故原因についてマイクを向けるとみな一様に黙り込む。事後処理に影響するため、彼らは事故の詳細に関するコメントを会社側から禁じられていたのだった。
乗組員たちにしてみれば、事故とその後の重油汚染は誠に遺憾だけれども、自分たちのせいではない。ある意味では彼ら自身も被害者なのだ。しかし、日本にいる間に彼らには必然的にマスコミが付いてまわる。そして、生死を彷徨った彼らの忌まわしい事故の記憶を呼び覚まそうとするのだ。
こういう事態を知ってか知らずか、外貨両替を済ませるやいなや「ナホトカ」の乗組員たちはいっせいに買い物に出かけてしまい、搭乗手続き終了間際になるまで帰ってこなかった。
彼らは今後の生活をシビアに見つめていたのだろう。彼らの態度について「船長がまだ行方不明なのに現金だ」と考えるのは、しごく日本的な発想であろう。自分に対する賠償金の支給と今後の仕事のことで、彼らの頭はいっぱいだったのではないだろうか。
それでも、命の恩人である海上保安庁の救助隊員に対する感謝の言葉と、日本の漁民への謝罪を忘れるものは一人もいなかった。
1997/01/19 JSN 釈囲 美法
※この記事は、新潟日報紙の「環日本海情報ライン」1997年01月掲載の記事を転載したものです。