インタビューの申し入れを快く引き受けてくれたユリア・ブズマコワさんは、自身の運転する黒塗りのトヨタジープでメトロの駅まで迎えに来てくれた。長身のユリアさんは、白のタンクトップと薄手の白のジャケットにベージュのスラックス姿で颯爽と運転をする快活そうな女性。 オフィスに伺いたいと言う私の申し入れに反して、「インタビューの場所はコーヒーショップで」と彼女が指定した訳は、彼女のオフィスは軍の敷地内にあり、外国人の出入りにはややこしい手続きが必要なので、ということだった。今時モスクワで外国人の入りにくい敷地などは珍しいので、逆に行ってみたい感じだったが迷惑そうだったのでコーヒーショップで会う事になった。
広告専門会社の経営者と紹介され、最近モスクワの街中に溢れる宣伝看板を想像していたのだが、彼女が差し出した名刺は黒地にレッドワインの入ったグラスをアレンジし、“ワイングラフデザイン”と英語で書かれていて、彼女が何の会社経営者なのか良く理解出来なかった。「主な仕事はロシアのワイン製造会社のワインラベル制作です」と言われて、ますます話が分かりにくくなってしまった。ロシアでワイン製造ができるのですか?と聞くと「ロシアにもワインの産地はあるけれど、私の会社の取引先酒造会社はロシア産のワインを扱うのではなく、世界中のワインを仕入れてロシア市場向けに独自のブランドで国内販売するのです。各国のワイン醸造会社のラベルでそのまま輸入する場合もあるが、ロシア向けのラベルがある方がロシア人に好まれるので、我が社がデザインした独自のラベルを持ち込んで瓶詰めしてもらうのです」と言われ、ようやく理解出来た。
ユリアさんの会社“ワイングラフ”は仕事量の70%がアルコール類のラベルや瓶のデザイン、そして30%がその他レンズ会社、輸送会社、軍関係等の広告デザインを専門とする会社だと言う。
彼女の会社ではこの数年、デザイン関係のコンペティションに積極的に参加し、グランプリやゴールド、シルバー等の賞を受け、業界では会社名が知られるようになったそうだ。最近作成したワインラベル“エニグマ・デル・インカ”は、人気を呼んで有名ラベルになっているそうだ。その他ロシア国内向けアルコールのラベルには、アジア的な雰囲気のデザインが最近人気だと言う。
今年40歳のユリアさんは、大学で経済学を学び、アルコール製造会社に事務職として入社した。その後ファイナンシャル部長、販売部長と社内でも責任のある職に就いた。販売部長としてアルコール類の瓶やラベルの制作にかかわっている時一緒に仕事をしていた広告代理店の経営者が、会社経営をやめると言う事を聞き、彼の会社を受け継いで自分で会社を起こす事にしたと言う。「アルコール会社で働いている時からラベル等のデザインを決めたりしていたし、製造会社との取引等も良く分かっていたので、自分でも会社を起こせると考えた」と言う。
1998年、ユリアさん他6人のデザイナーと会計士1人の合計8人と自分の資金150万ルーブルで、デザイン会社“ワイングラフ”をスタートさせた。資金はコンピューターや事務所の設備購入等に充てた。「会社経営を始めた90年代は誰にとっても経済的に難しい時代だったし、私の会社経営も大変だった。最初の5年ほどは給料の支払いが出来なくなりそうになった事もあった。どうしようかと思い悩んだ時、ダメになればやめれば良いと考えたら気が楽になり、逆にいろいろなアイデアが浮かんで来た。最近の5年間はロシアの経済状態も良くなって、ワイン等のアルコール類が良く売れるようになり、高級ワインやウオッカのラベルのデザイン注文も増えた。この数年、仕事は充分にあり会社の経営状態も良くなった」と言う。
女性経営者として経営の難しさや有利な点を聞いてみた。「今の時代は90年代よりも女性が会社を起こすのが難しいと思う。資金力よりも個人の新しいアイデアで会社を起こし、女性でも出来ると言うのを見せれば成功出来ると思う。」「アルコール業界で働く人は98%が男性という世界なので、全ての仕事は男性が相手。でも女性である私にとっては有利な面が多い。どこの会社の人にも女性は嘘をつかず、正直で信頼出来ると思われている。そして各社の担当者は毎日きれいな作品を見て、気分的にも落ち着いて仕事をしているので仕事はやり易い」
家族は税関通関代理業に携わるご主人と、20歳と7歳の娘2人の4人家族。以前は友人や家族に家事や子供の世話を手伝ってもらっていたが、今は専門のホームヘルパーの人を雇っている。
仕事関係者からの要望もあり、将来は ご主人と共同でアルコールの輸出入にかかわる通関、輸送等の業務に関する新しいビジネスを計画中だと言う。
(2007年5月)