夫/アジス(26歳)養鶏場勤務
妻/ヤーナ(26歳)区役所社会保障局員
長女/レギナ(1歳半)
夫のアジスはウズベキスタン出身。妻のヤーナはウラジオストクで生まれ育った。ふたりはとあるインターネットのサイトで知り合い、文通を通じてむすばれた。
ヤーナは極東国立大学の経済学部を卒業した後、ウラジオストクのペルボレチェンスク区役所で働いてきた。彼女は休暇でペテルブルグにでかけたのだが、この街が非常に気に入って引っ越す事に決めた。彼女は現在でもペテルブルグをロシアでいちばんすてきな、美しい街だと考えている。アジスはヤーナがペテルブルグに引っ越してから1ヶ月半後にペテルブルグにやってきた。彼は小さい頃からこの街を訪れ、巡洋艦「オーロラ号」をみることが夢だった。が、この夢を叶えることができるとは思いもしなかったという。
ペテルブルグでヤーナは「マルス」社に秘書事務員として就職し、アジスは建設会社で働いた。ペテルブルグで出会うまで、ふたりはインターネットで文通するだけで一度も会った事がなかったが、実際会ってみて、互いに一層好感を抱くようになった。ほどなくふたりは一緒に部屋を借りて暮らすようになった。ふたりともペテルブルグの暮らしを気に入っていたのだが、アジスの滞在登録の期限が切れてしまった。8ヶ月後、離れ離れになるのを望まなかったふたりはウラジオストクに戻ることを決心した。
ウラジオストクでアジスとヤーナはすぐに結婚した。ヤーナは当時妊娠2ヶ月で、7ヶ月後に生まれた娘は、レギナ(王女)と名付けられた。ヤーナは1年間産休に入った後、以前の職場に復帰した。アジスは当初、長期間にわたって仕事をみつけられずにいたが、その後「ミハイロフスキー養鶏場」に就職し、自分が専攻していた冷蔵設備技術者として働いている。
一家はヤーナの父と一緒に、2部屋のアパートに暮らしている。両親が働きに出ている間、小さなレギナの面倒は定年退職したヤーナの父が見ている。ヤーナは仕事が終わってからも育児や家事で忙しい。アジスも妻を助けるべく、食器を洗ったり、洗濯をしたり、時には夕飯を拵えたりする。
一家の家計は慎ましく、アジスの月収が1万5000ルーブル(7万2000円)、ヤーナの月収が1万ルーブル(4万8000円)である。大体1万〜1万2000ルーブルが食料品や日用品、ベビーフードに使われ、2000ルーブルが公共料金の支払いに充てられている。残りは子供用品や紙おむつ、おもちゃ、夫婦の細々した出費に使われている。
アジスは今の月収では満足できず、もっと給料の良い別の就職先をさがしている。というのも、レギナが大きくなれば出費もかさむだろうし、それにアジスは(愛情深い父親が往々にそうであるように)娘にはいちばん良いものを与えたいと願っているのだ。 (2007年08月)